第一章 千歳流の夜明け
七十五周年の記念誌を出すにあたり千歳流の歴史はもっと古いことを茲で訂正しなければなりません。
千歳流が誕生するほぼ二十五年前に初代旭梅が義母の心材を継いで唄と踊りの会を持っていました。
私も子供時代に月に一回、今で言えば公民館に「今日はお祖母さんの会だから行きなさい」といわれて座布団を抱えて行ったのを覚えています。
以後母はその志を継いで今日に至ったわけで、終戦後焼け出されて義母と共に船橋に移り旅館の経営がてらいまの健康センターのような形式で大勢集まり賑やかなものでした。
その間私達兄妹二人は結婚、兄はその敷地に病院を開業、母はその頃から家を離れ本格的に踊りを始めたようで、私は出産、子育て、開業(美容院)で多忙な日々を送っていて、その当時をよく知る母と共に歩んで来たお弟子さんたちによって前記の事に気付かされました。
ここで母と共に全国舞踊協会を設立した会長、武田敬吾先生の「千歳流宗家旭梅先生を偲ぶ」を紹介したいと思います。
母の逝去に寄せて下さった当時の機関紙に掲載されたもので原文に致しました。
古い因習に縛られやすい古典に新しい息を吹き込もうとしてたちあがった同士のお一人で家元教会の第一人者として活躍された方です。
機関紙と武田敬吾先生の「千歳流宗家旭梅先生を偲ぶ」 はこちらをクリックして下さい。